『みずから苦しむか、もしくは他人を苦しませるか
そのいずれかなしには恋愛というものは存在しない。』
(レニエ)





春の初めの冷たい雨が静かに落ちてくる。
止む気配はない。
そして、その勢いを増す事も。


「あー…アルの言ったとーり傘持ってくりゃよかったなぁ」

図書館からの帰り道、エドワードは灰色の空から落ちてきた水の粒に顔をしかめると近くの店の軒先へ走った。
すぐに止むだろうと当たりをつけて、ぼんやりと霞んでゆく街並みを見つめる。
それまで、まばらにあった人通りが消えた。

道を占湿らせるだけだったものが、水溜りをつくりあっと言う間に視界を白く霞ませてゆく。
今夜いっぱい止まないかもしれない…。
エドワードはその、霧に沈んでゆくような街を店のショーウィンドウの硝子に凭れ掛かる様に見つめてぼんやりと過ごしていた。

「本、借りてこなけりゃ走ってかえれたんだけどなぁ」

コートの中に隠すように持ったハードカバーを抱え直す。
3冊でよかった。いつものように抱えるほど持っていなくて本当によかった。
司書のお姉さんが、その分厚い本を抱えたエドワードに苦笑して手提げの袋を貸してくれたのも今は助かった。
あまり期待は出来ないが、ビニール地だから。刺繍が入って、いかにも子供のお稽古バッグだと思われる外見は、この際もう何も言わないでおく。







ぱしゃん……


どこかで、水の跳ねる音がした。
けれど少し違うような気もして、顔を上げて何気なく見回したその先に……それを見た。

息を呑む
時が止まるような―――





見なければよかったと思った
見てはいけないものの様な気がした

そしてその先にあるものもさぐってはいけないと思った

この痛みの訳を知ってはいけない―――――





まるで、映画のワンシーンの様だった。
けぶる街並みに浮き上がったようにそこだけがはっきりと。

赤と青のコントラスト。
対の人形のような男女。


音のない世界でその2人だけが、五月蝿いくらいの耳鳴りで持ってその存在感を示していた。
誰もいない大通りの真ん中で、びしょ濡れで。
少し暗いブロンドの女が、目に痛いほど紅いマニキュアの塗られた白い手を振り上げていた。
やはり赤い唇が開きかけて、戦慄いて、閉じる…そしてもう一度口を開いた時、男がすっと身を引いて女の横を通り過ぎようとしていた。
もう、女の事など視界に入れていない。頬に軽く手をやっただけで、そこにはもう熱も残っていないのだろう。
何の代償でもなかったように――――。


振り払うように前を向いた男と、目が合った………

瞳が見開かれる



エドワードは自分がどんな表情をしているのかすら分からなかった。
本を持っていることなど忘れて、その目から逃げるように雨の街に足を踏み出した。

パシャンと足元の水が散る。


呼び止める声など聞こえない。
何もかも振り払うように、ただ走った――――――。








なにかなぁ……
マスタン道路の真ん中で女に張られました。それだけです(分り難っ)