【ロッシュの限界】

多くは、惑星とそれを回る衛星との関係において説明される。
流動物体が、天体の潮汐力によって破壊されずに、その主星を軌道回転できる限界の距離。









 その日は、とてもよく晴れて開け放った窓の外に青く澄んだ空。そしてその中に浮かび上がる、緑の山々がいっそいっそ眩しいほどに輝く美しい日だった。
青い小鳥が窓辺の小枝を揺らして、じっとこちらを見つめていた。手を伸ばせば飛んできてくれるだろうか?
 少年は、今はまだ自らの意思ではどうにもならない身体を思った。
漸く手先がぎこちなくではあるが動かせるようになった、もどかしくて痺れた様な感覚を訴える身体に苛立ちもする。けれど、生きて、そして人の温かさを確かに持っている身体に込み上げるのは嬉しさ
少年は小さな身体を背のクッションに預けながらただ毎日そうやって外を見る。
時々、兄や家族同然の幼馴染やそのその祖母が覗きに来てくれる。
一緒にお茶を飲んで、食事をして、風を感じて、一方的に兄や金の髪の少女から頭を叩かれて…そして五感の全てで感じるものが愛しい。
そういえば、右手のリハビリの際兄は随分無茶をしていたが、あれはやっぱりというか、予想以上に身体に悪かったのではないだろうか。
自分のこれからの身長の為にも、ゆっくりリハビリしようと決めている。

時間は、これからいくらでもあるのだ

木の実を食んでいた小鳥がふと何かを見つけて飛び立った。


きぃ…
木製のドアが微かな音を立てて開く


「こんにちは、いらっしゃい。どうぞ、こんな身体でお持て成しも何も出来ませんが」

予想外の、けれど予期していた人物を認めて。アルフォンスは少し困ったように笑んだ。
思ったよりも穏やかに出た自分の声を思って笑う。
そして、ドアに立ち尽くす客人に、ベッドの横の椅子を勧めた。


「まさか、御自身でいらっしゃるとは思っていませんでした。今随分忙しいときなんじゃありませんか?マスタング大佐…じゃなくて、今は少将でしたよね」

隣に座った男―――ロイ・マスタングに声を掛けながら、じっと観察すると眉間に皺がよってくる。この人はほんとうに歳を食ってるいるのか…
それをどう取ったのか、ロイは苦笑すると前置きは必要ないね。と、前髪をかき上げながら珍しく迷っているように瞳を揺らした

「以前から、たぶん旅が終わる前から覚悟はしていました。現に兄さんは資格をまだ返上していませんから」
「そうか……」

笑みはそのまま、天気の話をするように話すアルフォンスにロイは瞳を伏せた。
そして、遠いものをみる様に、窓へと視線を移す。それに倣ってアルフォンスも青い空を見つめる

旅を終えて、身体を取り戻して、黒い墨汁をたらした水面の下。まだ澄んだ水の中で、束の間の安らぎを見た、大事な家族と……兄と
彼なりの譲歩だと思う。
ロイは、あらゆる面で兄を、エドワードを欲していたから。

「来月、昇進が決まってね。これからたぶん、国は荒れる」

たぶん、と濁すがこれは決まった未来だ。
それを、アルフォンスは痛いほど知っている。軍内が荒れているからこそ重要機密である賢者石の完成品を手にすることが出来たし、元にも戻れた。
追っ手が掛からなかったのも、そのせい。否目の前の兄の上司が何らかの策を講じてくれたのかもしれない


「私はいっきに上り詰める。だから…」
「泣かせたら、許しませんよ」

ロイの声を遮って、アルフォンスは笑った。
決めていたことがある、そのときが来たらきっと笑って見送るのだと。―――幸せになろうねと
送り出す先に何があるのか、知っていても、きっとそう言おうと思っていた。

「軍の式典にでも殴りこんで、演説中の新大総統閣下に抱きついて大声で『どうして、母さんを捨てたの父さん!!』ってやりますからね」
「………」

幸か不幸か、とりもどした身体はあの時のまま成長していない。ロイのコレまでのアレコレからしても弁解の余地無く楽しい事になりそうだ。大事な兄を取られるのだこれくらいの意趣返しはいいだろう
そういえば、昔列車の中で兄が同じような事をやっていたか……
リアルに想像したらしいロイは渋い顔をしている

「なんだか、『お嬢さんをください』と言いにきたような気分なのだが」
「違うんですか?」
「違わないね」
「次にお会いするときには、手くらいちゃんと動くようになってますから。一発殴らせてくださいね」
「正座で歯を食いしばって、謹んで耐えさせていただくよ」
「じゃ一応、お義兄さんかお義父さんと呼びましょうか?」



顔を見合わせて笑って。そして

最後は時間が余り無いからと、席を立つ彼をもう目で追う事しか出来なかった
最後までちゃんと笑っていられただろうか。
ともすれば言ってしまいそうになる言葉を必死で飲み込んだ。
たぶん、階下にいるウインリ―やばっちゃんも……
兄さんはどんな顔であの人の手を取るのだろう


羽を寄り添わせて2人だけで、吹雪に震えている駒鳥にはもう戻れない。

雪が解けて、光が射してそして飛び立たねばならないのだから

二人で一つの翼ではなく、互いに掴む物のために羽を広げて


いや、もしかしたら兄は本当の片翼を見つけたのかもしれない






そして、その一月後

何かが崩れるようにセントラルの空は暗く濁っていった
濁った水面と、澄んだ湖底が交じり合う


ただ、祈る事しか出来ない者を置き去りにして

全てを得た彼が

漸く、眠れる牙を剥いた




To be continued



以前オフで、ある方々が『大総統×軍服エドアンソロジー』に巻き込んで下さりやがったときの産物の再録です。