+ + Guiding Light









トランク
一つ抱えて向かった早朝の駅は、朝靄が微かに漂っているにも拘らず多くの人で溢れていた。
皆一様に大きな荷物を抱え、不安げに辺りを見回して家族としっかりと手を握り合っている。
コートの襟を合わせながら早足に通り過ぎて行く男を眼で見送りながら、青年もまた止めていた歩を進める。
誰かを探しているのであろう、人を縫うように歩きながら自らもまた首をめぐらせる。込み合った駅、目印になりそうなものはエントランス中央の時計。
銅に錆が浮いた、少し疲れた風を呈する時計を見上げながら、どこかその様子が自分たちと重なった。
自分たちは、此処を捨てることが出来るのだけれど―――。

もともと、もっと早く出るつもりだったのだ。
パリの大学に連絡は取れていたし、向こうも二つ返事で受け入れてくれるという。
けれど、出発をぎりぎりまで遅らせたのは……。

時計の裏側。背を預けている影が眼に飛び込んだ。
束ねた金の髪が鮮やかな虹彩となって揺れている。
雑踏の中、ふと彼が振り返る。

―――その、一瞬
音のない世界で。
稀有な金が描く軌跡を、ずっと覚えていようと誓った。




「やっぱり、一緒には来てくれないんだね…」

少年が困ったように笑う。
そんな風に笑わなくてもいいんだ、と言いたかった。
分かっていた事だ、彼の探す物が自分が行く道にあったとしても、それでもきっと彼はこの手を取ってくれない。
なんて皮肉なんだろう。
分かっている、今此処で彼の手を無理矢理とって浚って行っても、いずれ彼を失う事になること
彼の中に在る『帰りたい』という切なる願い。
この世界の何一つ、此処に彼を縛るものになりはしない―――。
それは、自分を透かして彼が眩しく見つめる者に気付いた時から痛いほどに分かっていた
けれど、それでも―――よかった、はずなのに……。
一緒に行こうと言って、返事も聞かずに出発日と時間だけを伝えて、そして委ねた。

シャツの上にウィットブラウンのコートを羽織っただけの軽装にいつもの白手袋。
はじめて図書館で出会った時の、そのままの彼―――。

そして
ジリリリ―――とけたたましく鳴り響くベルに、構内は一段と騒がしくなる。

「ありがとう」

ざわめく周囲に眼もくれず、見つめていた自分に彼からの言葉。
何に対してかは、分からない。
そして、付け加えるように呟かれた『ごめん』と言う言葉に、ただ苦笑した。
この言葉を欲しかったわけじゃないのに、けれどどこかで何かを期待している自分がいてだからこそ、そうして終わらせて欲しかったのかもしれない。
手を握り合う事は叶わないと、とうに知っていた。
どれだけ望んでいる事だとしても――――。
だから、その言葉に素直に頷いて笑うことが出来た。
女々しいくらいにぎこちなかったかもしれないけれど。

「君の幸せを、願ってる―――」

帰れるといい。
君の場所に
君の世界に
万感の思いを込めていった言葉に頷いて笑った笑顔は美しかった。
きっと、何夜も夢に見るのだろう―――――
戻れるといい。
君の在るべき人の傍に―――とはまだ言えないけれど、いつか祈れる日が来るから。
君の幸せを 祈っている


「最後に」
「うん?」
「名前を呼んでくれないか?」

一度として口に出してくれなかったから。
その理由を遠からず理解していたからこそ、これまで一度も言ったことはなかった。
望みもしなかった。


「―――…ロ イ」

まっすぐに瞳を見返して、紡がれた己の名前。
他の誰でもない。
だから、きっと始めから代わりにもなれなかった事を、知った。
それでよかった。だからこそよかった

列車の発車を伝えるアナウンスに、漸く少年がきょろきょろと辺りを見回す。
その様子をただ見つめながら、ふわりと抱き寄せる。
驚いた様に息を詰める気配が伝わるが、拒絶はされなかった。

「愛していたよ、エドワード――」

一瞬の抱擁に、掠めるだけの口付け。
離す温もりは残酷で、どこまでも暖かかった




――――-泣きそうな笑みで、精一杯てを振る彼をきっと 一生忘れない







もし。
など論じてもしょうがない
きっといつか、出会えた奇跡に感謝できるから。
今は――――


開け放った窓
流れてゆく、もう見ることのない景色に
無駄になってしまったチケットを2つに裂いて風に流した








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