ふとした瞬間に探してしまう。
視界の隅を掠める色だとか、幻聴にも似た雑踏に掻き消える声だとか。
そんな些細な事に。
そして否応無く気づかされる。



この世界に独りきりなのだと










         + +    Innocent World 2









「これと、これと……」

大学の図書館に出入りを許されたエドワードは、毎日をそこで過ごしていた。
膨大な量の書籍を奥まったテーブルに積み上げ、1日のうちにそれを読みきってしまう。
未読の物があるなら貸し出して続きをし、そして次の朝には返却する。
それこそ開館から、閉館までをその場所で過ごす彼に向けられる周囲の関心は、彼が思うよりも大きかったけれど、何かに取り付かれたように必死に活字を追う彼の背中に声を掛けるものも居なかった。

既に顔見知りになった司書の何人かとは挨拶を交わす程度の仲ではあるが、エドワードの閉ざされた人付き合いの範囲はそう広くは無い。
生命を維持するに最低限の、食事と睡眠をとり後の全てを研究に捧げる毎日。

ホーエンハイムは言う、「急ぐなとは言わないけれどもう少し自分を労わりなさい」、と。

その言葉が言葉どおりのものだけではなく、錬金術に自分の身すら捧げそして、辿った末路。
多大な犠牲と引き換えに賢者の石を作り出し、ホムンクルスを作り出し、そして永遠に魂を世界に留める方法を知ってしまった彼自身の辿った道、それをエドワードに辿らせたくないうのは、解る。
自分たちがたどり着いたのは至高の頂などではないのだと。
犠牲にしたものが多すぎて、足を踏み出す事も出来ないほどぬかるんだ底なしの沼、けれど完全に沈んでしまう事も出来ない苦痛と飲み込んだ者の妄執に苛まれるだけの日々。

たどり着きたかったのはそんなところではなかったのに――――。
その感情を解らぬエドワードではない。
彼もまた犯した罪を背負っている。
人ではない、自分たちで作り出してしまった最愛の母をこの目で見たとき。
何もかもが間違いであったのだと悟ってしまった時―――

その時からずっと背負って生きてきた、その痛みも苦しみも後悔も何よりも冒涜してしまった母の魂に詫びながら。
その後悔だけの世界で打ちひしがれて朽ちてゆくか、汚泥のなかを進んでも何かを成すか…選べと道を指してくれた人が居る。






『君が許さないなら、私が君を許そう』

そう言ってくれた人が、言ってくれた人たちが居る。

『君が自ら罰を与え続けるのなら、私は赦し続けよう』








未だ耳に残るその声に

「………俺は、もう間違えたりしない」

つと、1冊の本へ伸ばされた手を止め、苦しそうに呟くとエドワードはまた、抱えきれるだけの書物を抱えて今や低位置となったデスクへと踵を返した。






帰りたい



解っている。
ホーエンハイムと同じことを繰り返そうとしている
利己的な望みのままにまた理を侵しそうな自分が居る。
弟と旅した事だって、また禁忌を侵す方法を探す旅であったのだと、胸の奥で誰かが言う。
償罪ならば、なくした手足と弟の肉体。全てを背負って苦しみながら死んでいくその事こそ何よりの償いではなかっただろうか。




でも






帰りたい


柔らかく降り注ぐ朝の光も、薄布を重ねてゆくように濃く染まり行く黄昏の空も、何も変らないこの世界は確かに一つの独立した世界で、どちらかが偽物だとかそんな次元の問題じゃない。
此処が何処なのか、なんなのか、どうして存在するのか、それも未だ明確な答えが出ていない。
心理の扉の向こう。
そこに広がる世界に、たっった独り。
罪を犯したのはこの世界かそれともエドワードたちの故郷なのか、それとも人間であったのか。

なにもかも解らないこの世界で、心のそこで渇望する。


帰りたい

罪を犯しても。
そして、その重みを、辛さをまた2重3重と背負う事になっても…帰りたい。

ただそれだけが今のエドワードを突き動かしていた。
相反する心を抱えて
罪と望みと

望みよりも大切な事を取ったあの時。捨てたと思った自己の願いは土壇場で叶えられた
叶えた筈なのに。
隣に弟が居ない、幼馴染がいない、皆が居ない。
あの人が……居ない。

その抜け落ちた心を埋めるものをエドワードは此処に持っていないから。




間違えたりしない。間違えたくない

それだけは本当だ。だからどうか――――
自分が差し出せるものなら、両手両足でも、内臓でも、眼だっていい。

なんでも差し出すから。






等価交換の成り立たない世界でただそれだけを願った。




祈りにも近い叫びで












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