誰かが呼ぶ声が―――――聞こえた気がするんだ












        + +  Innocent World 1











「………おはよう」

カチャリと自分に宛がわれた部屋のドアをあけて、エドワードはキッチンへと向かった。
カチャカチャと陶器の音が響いて、鼻腔を香ばしい匂いが擽る。
卵をフライパンに落とす音、響く水音。その全てが、これまで弟と2人で旅してきた生活とは全く違った物で、ああコレが平凡な家族の享受するささやかな幸せなんだなと、ぼんやりと思う。

「ああ、おはよう。ちょうど、卵が焼けた」
「…ん」

そんな会話を交わしつつ、慣れた手つきでフライパンを振りながら振り返った父を見返して。そして苦笑する。
何だかんだ言いつつ、傍から見れば反抗期の息子を抱える父子家庭をやっている。いや、実際そうなのかもしれないが―――

父親に対して向ける感情を制御できず、随分当り散らした。それは母を自分たち兄弟を置き去りにした事以上にも、エドワード自身の中に蓄積した物全てを理不尽にぶつけた。
この世界に落とされて、暫く体が思うように動かず暫くの間起き上がれない生活を強いられていた事も情緒の不安定さに拍車をかけのだろう。
散々罵倒して、それでも何も言わずにただ黙々と体の自由にならないエドワードの世話をし続けた父に、エドワードの感情が動かない筈も無く。全てを知ってしまった後になっては、攻める事も、もうできない事はよく、分かっていた。
禁忌を侵したエドワードには―――。
何よりも、母自身がそのことを隠していたのだろうから。
たぶん、気付いていただろう事は今なら解る。そういう素振りがあったから。

それでも、待ち続けたのだから…と、それで何かが変わるはずもないのに、ただ自分の抱えた苦しさを吐き出した。
体調と共にだんだん思考力の回復と、冷静さを取り戻した頃落ち着いた。
「……ごめん」と、消え入りそうな声で呟いた声をしっかりと聞き取った父は、困ったように照れた様に笑った。
ああ、母さんとアルと4人で暮らしていた時、この男はこんな風によく笑っていたっけと、沈んで忘れさられ様としていた小さな頃の光景が、ふと脳裏を過ったのだった。
お互いに、特にエドワードが相手に向けるもの全てに戸惑っていたが。それも、毎日生活するうちに自然と形となっていた。

「エドワード?」
「え、ああ。なんでもない」

ハムエッグをホークで突付きながら、ぼんやりとしていたエドワードの顔をホーエンハイムが覗き込む。
まだ本調子ではないのか?と今更に尋ねられるのを、苦笑して首を振りもう一度何だと聞き返す。
何だかんだ言いつつ、上手くやっている。

「教授が、ある科学者を紹介してくれると言うのだが会うかい?」
「ハウスホーファー教授…か」

この世界に来て、エドワードが会話を交わした始めての人間。
といったところだろうか、今現在ホーエンハイムが臨時教員として教鞭をとっているミュンヘン大学の教授。専攻は地政学というが、最近終戦したばかりの大きな戦争に従軍していたか何かで、軍内でもそれなりの地位を持っているらしい。
工学の知識もあるらしく、エドワードがそちらの方面に興味があるのだという事をほのめかせていたらしいホーエンハイムに引き合わせられて以来、エドワード自身を気に入ったのか随分良くしてもらっている。

ただ、少しエドワードが気に欠けることといえば、彼が身を置く宗教団体。
一種オカルト感の漂うそれに、エドワードは好感を持つ事ができないでいる。
この世界は、アメストリスとは違い宗教意識がとても強い。もちろん、アメストリスでも神を崇め、イシュヴァ―ルのように戒律を守る者たちが居たが、それでもエドワード自身が錬金術師、科学者だった事を差し引いても宗教観というものとは、縁の薄い生活を送っていた。
それが、世間一般的に認知されていた宗教観というものだったが、ここは生活の全てに宗教が絡んでくる。
そのなかでも、彼の教授が身をおく集団は異色だった。
その集会に、どうしてホーエンハイムが時折顔を出すのか、それはエドワードの知るところではないが、好奇心的なものが強いのではないか、とこののほほんとしたおやじを見ていると思うのだ。

「うん。………お願いするよ」

ザクリとホークで指した卵の最後の一口を口に頬張りながら、何も言わずに答を待っていたホーエンハイムに返す。



そうやって、身の回りの常識を詰め込む事で今日もまた1日が始まっていく










あれから


エドワードがこの世界に飛ばされてから
もう半年が過ぎようとしていた。











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